
¡Hola, bienvenida! いらっしゃいませ!
はるカタルニャです。



本日は「中東のカントリーカフェ」となっております!
ご来店いただき本当にありがとうございます。
今回は、青年海外協力隊の派遣国の中でも、幾千年もの歴史を刻む【シリア】に焦点を当てます。
しかし、まず最も重要なことをお伝えしなければなりません。
この記事は、過去の隊員たちの活動に敬意を表し、未来に平和が訪れ派遣が再開される日を願って、シリアという国の基本情報や文化、そしてかつての協力隊の姿を記録としてお届けするものです。
- 青年海外協力隊の「シリア派遣」の歴史に関心がある方
- 紛争前のシリアの文化や生活情報を知りたい方
- 将来、復興支援などでシリアと関わることを考えている方
- 国際協力やボランティア活動に関心があり、シリアという国について深く学びたい方
- シリアの平和な日常が戻ることを願い、現地の情報を収集したい方



シリアって、今は協力隊は行けないんだ…。



昔はどんな活動をしていたんだろう?



平和になったら、どんな国なんだろう…?
残念ながら、現在は渡航することさえ極めて困難な状況です。
実はこのブログを書いている私も、いつか青年海外協力隊員として世界に貢献したいと夢見ています。だからこそ、今は活動できなくても、シリアという国の本来の姿や文化を知り、平和な未来を考えることが大切だと感じています。
この記事では、未来の平和なシリアを思い描きながら、あなたが知りたいであろう情報を、同じ目線でリサーチし、ギュッと詰め込みました。
- (紛争前の)シリアという国の魅力と基本情報(歴史、文化、言語、気候など)
- (過去の)青年海外協力隊員としての具体的な活動内容や求められたスキル
- (紛争前の)現地でのリアルな生活(住居、食事、物価まで網羅!)
- (将来派遣が再開された場合の)応募から派遣までの一般的な流れ
- 現在の極めて厳しい治安情報と安全に関する重要な注意喚起
この記事は、シリアへの渡航を推奨するものでは決してありません。むしろ、現在のシリアが置かれた厳しい状況を正確に理解しつつ、本来の豊かな文化や歴史を知ることで、国際協力や平和について考えるきっかけになることを願っています。
ぜひ最後までじっくりお読みいただき、シリアという国への理解を深めてください。


シリア派遣の基本情報:概要・特徴・言語を徹底解説!


ここでは、青年海外協力隊が派遣されていた、紛争前のシリアがどのような国だったのか、その基本的な情報をご紹介します。



中東にあるって聞いたけど、具体的にどこ?
周りの国とはどんな関係なの?



砂漠のイメージだけど、雪も降るって本当?
季節による寒暖差は激しいんだろうか?



英語は通じるの?
やっぱりアラビア語が話せないとダメかな。
そんな疑問に答えるべく、平和だった頃のシリアの基本情報から、変化に富んだ気候、コミュニケーションの鍵となる言語、そして心に触れる文化や習慣まで、徹底的にご紹介します!
シリアの本来の姿を理解し、平和な未来を願うための知識を、分かりやすく丁寧にお伝えしますのでご覧ください!
シリア・アラブ共和国ってどんな国?まず知りたい基礎知識まとめ
シリアの首都、言語、通貨、時差、気候、電圧、日本からのアクセス方法など、紛争前の基本情報を分かりやすくまとめました。
国(首都) | シリア・アラブ共和国(ダマスカス) |
---|---|
言語 | アラビア語(公用語)。クルド語、アルメニア語なども使用。 |
通貨 | シリア・ポンド(SYP)。※内戦により価値は著しく下落。 |
時差(サマータイム) | 日本より6時間遅れ。サマータイムは2022年に廃止。 |
気候 | 地中海性気候、砂漠気候、ステップ気候が混在 |
電圧 | 220ボルト / 50ヘルツ |
コンセント | C, E, Lタイプなどが混在。変換プラグが必須。 |
面積 | 約18.5万平方キロメートル(日本の約半分) |
産業 | (紛争前は)石油、農業(綿花、オリーブ)、繊維業、食品加工業など。 |
直行便(2025年9月現在) | なし。※現在、日本からの渡航は極めて困難。 |
日本からの行き方 | (紛争前は)中東の主要都市を経由するのが一般的だった。 |
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シリアの面積は?日本の約半分
さて、かつて青年海外協力隊の派遣国であった『シリア』ですが、その広さは一体どのくらいなのでしょうか?
シリアの面積は 約18.5万平方キロメートル。と言っても、数字だけではピンと来ないかもしれませんが、日本と比較してみると…



実は、日本の国土の約半分の広さ!



その中に、世界最古の都市や多様な自然が詰まっていたんです!
隣国は?トルコやイラクなど
また、中東に位置するシリア。
この国がどのような地理的環境にあり、それが文化や経済にどんな影響を与えているのか、その輪郭もGoogleマップで見ていきましょう。
シリアは、北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、南西にイスラエル、西にレバノンと国境を接し、地中海にも面しています。
古くから文明の十字路として、多様な文化が交錯する重要な役割を担ってきました。



シリアの周りには様々な国があるんですね。



パルミラ遺跡が有名ですが、豊かな農業地帯や美しい海岸線もあったんです!
このように、多様な隣国に囲まれた地理的な特徴は、シリアの豊かな文化を育む土壌となってきました。
そして、その文化をより深く理解する上で欠かせないのが、『気候』と人々のコミュニケーションを支える『言葉』です。
それでは、シリアの日々の気候と、普段の生活で人々がどのような言語を使い、心を通わせているのか、その興味深い『気候・言語事情』を一緒にみていきましょう!
シリアの気候を徹底解説!年間を通じた特徴と季節ごとの注意点



シリアの気候は、地域によって大きく異なり、地中海沿岸部は「地中海性気候」、内陸部は「ステップ気候」や「砂漠気候」に分類されます。
日本と同じように四季がありますが、夏と冬の寒暖差が激しく、春と秋は短いのが特徴です。
季節は大きく夏季と冬季に分かれ、それぞれに備えた服装の準備が快適な生活の鍵となります。
- 夏季(6月~9月頃)
乾季にあたり、雨はほとんど降らず、日中は35℃を超えることも珍しくありません。湿度が低くカラッとしていますが、日差しは非常に強いです。 - 冬季(12月~2月頃)
雨季にあたり、降水が集中します。内陸部や山岳地帯では氷点下まで冷え込み、雪が積もることもあります。しっかりとした防寒対策が必要です。
服装は季節に合わせて準備する必要があります。夏は通気性の良い夏服で問題ありませんが、肌の露出を抑えるため、そして日差し対策のために薄手の長袖やスカーフがあると便利です。冬は日本の冬と同じように、厚手のコートやセーター、マフラーなどの防寒具が必須です。また、年間を通じて日差しが非常に強いため、帽子やサングラス、日焼け止めでの紫外線対策は必須です!
シリアの言語事情:英語は通じる?公用語と現地の言葉



シリアでは何語がメインなの?



英語はどの程度通用するの?
といった、シリアの言葉に関する疑問は多いはず。
シリアの公用語から現地で話される多様な言語まで、その実態を分かりやすく解説します。
これを読めば、シリアでのコミュニケーションのイメージがグッと具体的になるはずです!
シリアで使われている言語の種類|公用語はアラビア語
シリアの公用語はアラビア語です。しかし、多民族国家であるため、地域によってはクルド語やアルメニア語、かつてイエス・キリストが話したとされるアラム語の流れをくむ現代アラム語なども話されています。
また、フランスの委任統治領だった歴史的背景から、年配層やエリート層にはフランス語を話す人もいます。
- アッサラーム・アライクム: こんにちは
- シュクラン: ありがとう
協力隊員として活動する上では、公用語であるアラビア語、特に現地で話される口語(アンミーヤ)を学ぶことが、現地の人々と心を通わせるための大切な鍵となります。
豆知識ですが、シリアという国名は古代アッシリアに由来するという説があり、その歴史の深さを物語っています。
青年海外協力隊員は英語で活動できる?|現地での英語通用度



紛争前の状況では、首都ダマスカスやアレッポなどの都市部や観光地では、ホテルや一部の商店で英語が通じることもありましたが、一般的にはあまり通用しませんでした。
青年海外協力隊の活動においても、配属先の同僚とのやり取りや地域住民との交流は、基本的にアラビア語で行われていました。
そのため、もし将来派遣が再開されることがあれば、派遣前訓練や現地での語学習得が非常に重要になります。
基本的なアラビア語を話せることで、人々の心が一気に開かれ、より深く、温かい関係を築くことができるでしょう。
言語の壁を乗り越える努力は、国際協力の第一歩と言えるでしょう。


シリア派遣の職種と活動内容|青年海外協力隊の専門性を解説!
ここでは、過去に青年海外協力隊がシリアでどのような活動を行っていたのか、その歴史を振り返ります。



昔、シリアに派遣されていた協力隊員は、どんな活動をしていたんだろう?



どんなスキルや経験が役立っていたのかな…。
この記事を読み進めれば、平和だった頃のシリアで、実際にどのような職種があり、どんな専門性が求められていたのかが具体的に分かります。
未来の復興を担うかもしれない、あなたの挑戦のヒントがここにあるかもしれません。
シリア派遣の現状:最新の隊員数と派遣実績データ(男女別・累計)
まず、青年海外協力隊のシリアへの派遣実績(2025年3月31日現在)をご紹介します。
JICAの公式データによると、以下のような内容となっています。
派遣中隊員数: 0名(うち女性0名)
帰国隊員数 : 565名(うち女性 252名)
累計派遣隊員数: 565名(うち女性 262名)
※2011年以降、新規の派遣は停止されています。このデータは、それ以前に活動した隊員の方々の累計です。
シリアで求められていた専門性:人気の派遣職種と具体的な活動事例



紛争前のシリアでは、どんな分野でボランティアが求められていたの?



どんな職種で活躍していたんだろう?
そんな疑問にお答えします!
かつてシリアで青年海外協力隊員が活躍していた、主要な活動分野は以下の通りです。
- 保健・医療: 看護師や理学療法士、障害児・者支援など、医療サービスの質の向上や、人々の健康を支える活動が行われていました。
- 教育・文化: 日本語教師や音楽、美術、体育などの指導を通じて、子どもたちの教育や文化交流に貢献していました。
- 農業: 野菜栽培や家畜飼育などの分野で、農業技術の向上や農家の生計改善を支援する活動が求められていました。
- スポーツ: 柔道や空手など、様々なスポーツの指導を通じて、青少年の健全な育成や競技レベルの向上に貢献していました。
引用:JICAシリア事務所
より具体的な活動内容や、過去に派遣された隊員の体験談に興味がある方は、JICA公式サイトの過去の報告書などを探してみることをお勧めします。


(紛争前の)シリアでの生活基盤:協力隊員の住居とインフラ事情
ここでは、紛争前の平和な時代、青年海外協力隊員がどのような住居で生活し、現地のインフラとどのように向き合っていたのか、その様子を振り返ります。



安心して活動に打ち込むためにも、快適で安全な住環境と、安定したライフラインの確保が欠かせません。
ここからは、かつて隊員が実際にどのような住居で生活し、現地のインフラとどのように向き合っていたのか、その実情を詳しくご紹介させていただきます!
シリアでの住まいはどうだった?協力隊員の住居事情



青年海外協力隊員の住居は、JICAが隊員の安全と健康を最優先に考えて手配していました。
シリアでは、首都ダマスカスや地方都市において、アパートを借りて一人暮らし、または他の隊員とシェアハウスをすることが一般的でした。
- アパート
キッチン、シャワー、トイレなどが完備された住居が提供されていました。建物は石やコンクリート造りのものが多く、快適に生活できる環境が整えられていました。 - 伝統的な住居
ダマスカス旧市街などでは、中庭を囲むように部屋が配置された伝統的なアラブ様式の家屋も見られました。隊員が住むことは稀でしたが、シリアの文化を象徴する美しい建築様式です。
※現在のシリアでは、紛争により多くの住居が破壊され、インフラも深刻なダメージを受けています。
電気・水道・インターネットは?シリアのインフラ整備状況



また、紛争前のシリアでの生活では、日本のインフラ環境との違いを実感する場面が多くありました。
- 電気
都市部では比較的安定していましたが、計画停電が実施されることもありました。 - 水道
水道は整備されていましたが、断水も時折発生するため、水を貯めておく習慣がありました。安全な飲み水を確保するために、煮沸するかミネラルウォーターを購入するのが一般的でした。 - インターネット
紛争前は、都市部を中心にインターネットカフェが普及しており、ADSL回線が一般的でした。通信速度は日本ほど速くはありませんでしたが、情報収集や連絡には十分な環境でした。



昔は、当たり前のように生活ができていたんですね…。
平和な日常がいかに貴重であるかを痛感させられます。一日も早く、安定したインフラが復旧し、人々が安心して暮らせる日が来ることを願わずにはいられません。
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シリア生活のリアル体験!物価・治安・服装から文化まで徹底解説
ここでは、紛争前のシリアでの生活に直結する「お金のこと」や当時の「安全のこと」について、過去の情報を基に解説します。現在の状況とは大きく異なることをご理解の上、お読みください。



昔のシリアの物価って、どんな感じだったんだろう?



日本とは違う文化や習慣がたくさんありそうだけど、どんなことに気をつければよかったのかな?



紛争前は、治安は良かったの?



気をつけるべきことって何だろう…?
そんな疑問に答えるべく、このセクションではシリアの通貨「ポンド」の基本情報から、紛争前の物価水準、そして当時の治安状況や文化的な注意点まで、あなたが平和だった頃のシリアを知るための情報を分かりやすく解説します。
シリアの通貨「ポンド(SYP)」の基本と(紛争前の)リアルな物価事情
シリアの通貨は「シリア・ポンド(Syrian Pound)」で、略称は「SYP」です。
紛争前は比較的安定していましたが、2011年以降の紛争と経済制裁により、通貨価値は著しく下落し、ハイパーインフレーションが続いています。
以下は、紛争前の物価のイメージです。現在の物価とは全く異なる点にご注意ください。
水(500ml) | 安価 |
フブス(パン) | 非常に安価 |
ストリートフード(シャワルマなど) | 数百円程度 |
市内の食堂(1食) | 数百円~千円程度 |
公共交通機関 | 非常に安価 |
※紛争前は、日本と比べると物価は非常に安く、特に食料品や交通費は手頃な価格でした。しかし現在、多くの国民が貧困に苦しんでおり、食料の確保さえ困難な状況にあります。
シリアの治安状況|外務省危険レベルと協力隊員の安全対策



極めて重要なお知らせです。現在のシリアの治安は、極度に悪化しています。
2025年9月現在、外務省の海外安全情報では、シリア全土に最高レベルの「レベル4:退避してください(退避勧告)」が発出されています。これは、どのような目的であれ、渡航は絶対に止めてくださいという強い勧告です。
紛争前は、政治的に安定しており、中東の中では比較的治安の良い国とされていました。しかし、2011年以降の状況は一変し、テロ、誘拐、戦闘など、生命に危険が及ぶ可能性が極めて高い状況が続いています。
当然ながら、JICAは青年海外協力隊をこのような危険な地域に派遣することはありません。
シリアへの渡航は、いかなる理由があっても絶対に止めてください。最新の情報は必ず「シリアの外務省の海外安全情報」で確認してください。
この記事で紹介する文化や習慣は、平和だった頃のシリアの姿です。現在の危険な状況とは切り離して、文化理解の一助としてお読みください。
引用:外務省の海外安全情報
引用:シリア安全対策基礎データ
(紛争前の)シリア生活での服装ガイド|普段着の選び方と民族衣装の魅力



服装に関する疑問は、その国の文化を知る上でとても大切なポイントになりますよね。
ここでは、平和だった頃のシリアで、人々がどのような服装をしていたのか、そして協力隊員が活動する上でどのような配慮が必要だったのかを解説します。
日々の活動や生活シーンに合わせた、具体的な服装選びのポイントから詳しく見ていきましょう。
シーン別・シリアでの最適服装ガイド|普段着から活動時まで徹底解説
紛争前のシリアでの服装は、イスラム文化への配慮と、季節ごとの大きな寒暖差、そして強い日差しへの対策がポイントでした。
- 肌の露出は控えるのが基本
イスラム教国であるため、特に女性は体のラインが分かりにくい、ゆったりとした服装が好まれていました。夏でも半袖は許容範囲でしたが、肩や膝が出る服装は避けるのがマナーでした。 - 女性はスカーフがあると便利
髪を隠す「ヒジャブ」の着用は義務ではありませんでしたが、モスクに入る際や、地方の保守的な地域を訪れる際には、髪を覆うためのスカーフがあると便利で、敬意を示すことにも繋がりました。 - 重ね着で寒暖差に対応
一日の中でも、また季節によっても気温差が激しいため、Tシャツにシャツを羽織ったり、冬はセーターやコートを重ね着したりと、調整しやすい服装が役立ちました。 - 日差し対策を忘れずに
年間を通して日差しが強いため、帽子、サングラス、UVカット機能のある羽織りものなどは必須アイテムでした。



文化への配慮がとても重要だったんですね!
多様な文化を反映するシリアの伝統衣装
シリアには、地域や民族の多様性を反映した、様々な伝統衣装がありました。
男性はゆったりとした衣服の上に「アバ」と呼ばれる外套を羽織り、女性は美しい刺繍が施されたドレスを着用しました。
また、イランなどで知られる「チャドル」のように、体をすっぽりと覆う黒い衣装を身につける女性もいました。
これらの衣装は、シリアの豊かな文化の多様性を象徴するものでした。
(紛争前の)シリア文化に触れる:習慣・マナーで気をつけること
ここでは、平和だった頃のシリアで大切にされていた文化や習慣について解説します。異文化の中で生活する上で、こうした習慣やマナーの理解は非常に重要でした。



シリアでは、どんなことに気をつければよかったんだろう?日本とは全然違うのかな?



イスラム教の国だけど、ラマダン中は特に気をつけることがあったの?



もしかして、日本人の感覚だと『えっ?』と思うような習慣もあったのかな…?
シリアには、私たちが知っておくべきユニークで大切な文化や習慣がたくさんありました。
ここでは、シリアの人々とのコミュニケーションを円滑にするための具体的なポイントを解説します。
過去のシリアの豊かな文化を知り、平和な未来を考えるための「シリア文化の心得」を一緒に学びましょう!
シリアで守るべき基本的なマナー|日常生活での注意点
- ラマダン(断食月)への配慮
イスラム教徒が日の出から日没まで断食を行うラマダン期間中は、公共の場でムスリムの前での飲食や喫煙は避けるのがマナーでした。 - 左手は不浄
イスラム文化では左手は不浄なものとされていたため、食事の際や物の受け渡し、握手の際には必ず右手を使うようにしていました。 - 写真撮影の許可
特に女性や宗教施設を撮影する際は、必ず事前に許可を取っていました。無断でカメラを向けることは、トラブルの原因になりかねませんでした。 - 飲酒への配慮
イスラム教では飲酒が禁じられているため、人前で飲酒したり、お酒の話をしたりすることは慎む必要がありました。



異文化への敬意がとても大切だったんですね。
「おもてなし」の心と家族の絆
シリアの人々は、家族や親族との絆を何よりも大切にし、客人に対しては非常に温かい「おもてなし」の心で接することで知られていました。
家に招かれてお茶や食事をご馳走になることは、彼らにとってごく自然なことであり、協力隊員もこうした交流を通じて、地域社会に溶け込んでいきました。
この温かい文化が、紛争によって引き裂かれている現状は、非常に悲しいことです。一日も早く、人々が安心して家族と暮らし、客人を迎えられる日が戻ることを願います。


(紛争前の)シリアの食文化を味わう!代表的な料理と食事のポイント
「アレッポの石鹸」や豊かな農作物で知られるように、シリアの食文化は非常に豊かで、「世界三大料理」にトルコ料理ではなくシリア料理を推す声もあるほどでした。



平和だった頃のシリアでは、どんなものを食べていたんだろう?



シリアの料理って、どんな味付けが一般的なんだろう?



国民食ってどんな食べ物なの?
そんな風に現地の食事について、思いを馳せる方もいるかもしれません。
このセクションでは、かつて人々を魅了した豊かなシリアの食の世界を探求していきましょう!
シリアの基本料理と主食|フブス・メゼ・キッベを解説
シリアの食事は、「フブス」と呼ばれる平たいパンを主食とし、オリーブオイルやハーブをふんだんに使った多彩な前菜(メゼ)、そして羊肉や豆を使った料理が食卓を彩っていました。
- フブス (Khubz)
アラブの食卓に欠かせない、円くて平たいパン。様々なディップをつけたり、肉や野菜を挟んでサンドイッチにしたりして食べられていました。 - メゼ (Mezze)
フムス(ひよこ豆のペースト)やタブーリ(パセリのサラダ)など、野菜や豆を中心とした数々の前菜。食卓に彩りと豊かさを加えていました。 - キッベ (Kibbeh)
挽き割り小麦とラムのひき肉を混ぜて揚げたり焼いたりした、シリアの国民食ともいえる料理です。 - ファラフェル / シャワルマ
ひよこ豆のコロッケ「ファラフェル」や、回転グリルで焼いた肉を削ぎ落とした「シャワルマ」は、人気のストリートフードでした。



メゼ (Mezze)、色とりどりで美味しそう…
シリアの食文化|味付けと甘いお菓子
シリアの料理は、オリーブオイル、レモン、ニンニク、ミントなどのハーブを巧みに使うのが特徴でした。
ヨーグルトも調味料として多用され、料理にさわやかな酸味とコクを与えていました。
また、シリアの人々は甘いものが大好き。「バクラヴァ」というナッツを何層ものパイ生地で挟んだお菓子や、ダマスカス名物のアイスクリームなど、多彩なスイーツが楽しまれていました。



豊かな食文化が、一日も早く戻ることを願います。
シリアの飲み物文化|コーヒーとおもてなし
シリアでは、カルダモンで香り付けしたトルコ式のコーヒーや、甘いミントティーが日常的によく飲まれていました。
これらのお茶やコーヒーは、おもてなしの象徴でもあり、家庭や職場に客人を迎える際には必ずと言っていいほど振る舞われていました。
また、アニスというスパイスの香りがする「アラック」という蒸留酒も、宗教的な制約はありつつも、一部の人々に親しまれていました。
かつて協力隊員として活動する中で、お茶やコーヒーに誘われる機会は頻繁にありました。これはコミュニケーションの重要な一部であり、相手の厚意に感謝していただくことが良いマナーとされていました。



お茶を飲みながら語り合う、そんな平和な日常が懐かしいですね。


青年海外協力隊シリア:応募プロセスと帰国後のキャリアパス
「いつか、青年海外協力隊としてシリアの復興に貢献したい!」
その熱い想いを実現するためには、まずシリアに平和が戻ることが不可欠です。
ここでは、**現在は募集がない**ことを前提に、もし将来派遣が再開された場合に想定される一般的なプロセスと、協力隊経験がどのようにキャリアに活かせるかをご紹介します。
今はまだ遠い未来かもしれませんが、希望を持って、その日に向けた準備をイメージしてみましょう。
シリア派遣への第一歩:応募から選考、派遣まで
シリアへの派遣が再開された場合、以下のようなステップを踏むことになると考えられます。



もしシリアへの派遣が再開されたら、何から始めればいいの?



派遣までのスケジュールって、どんな感じなんだろう?
そんなあなたの未来の疑問に答えるべく、一般的な応募プロセスをわかりやすい図でご紹介します。
年2回(春募集・秋募集)のタイミングでJICA海外協力隊のウェブサイトから応募します。
職務経歴や語学力などを基にした書類選考と、人物面や技術力を評価する面接が行われます。
2次選考から約2ヶ月後に合否が通知されます。合格者は候補者となります。
語学訓練(主にアラビア語)や国際協力、安全対策など、派遣に必要な知識とスキルを身につける合宿形式の訓練です。
訓練修了後、いよいよシリアへ出発。約2年間のボランティア活動が始まります。
- アラビア語の学習
将来、シリアや他の中東諸国で活動する際に、アラビア語能力は非常に大きな力になります。今から学習を始めることは、夢への大きな一歩です。 - 復興支援や難民支援に関する知見を深める
将来シリアで求められるのは、復興に関わるスキルかもしれません。土木、建築、保健医療、心理ケア、コミュニティ開発など、関連分野での経験や学習は必ず役に立ちます。
より詳しい応募条件や選考対策については、以下の完全ガイドをご参照ください。国は違えど、協力隊を目指す上での基本的な考え方は同じです。





合わせて2025年秋募集の要項や詳細を公式サイトから確認して見ましょう!
また、私はこの本を読んで青年海外協力隊に応募するための勉強をしています。
青年海外協力隊とは何なのか、実際に「コミュニティ開発隊員でフィリピンへ」「日本語教育隊員でドミニカ共和国へ」「看護師隊員でブルキナファソへ」派遣された方々の貴重な経験談など、知りたいすべてが盛り込まれています!
シリアでの経験を未来へ:帰国後のキャリアと人生設計
もし将来、シリアでの活動を終えた後、その経験はあなたの人生に何をもたらすでしょうか?



協力隊経験者の人たちって、どんな道に進んでいるの?



困難な状況での経験って、帰国後どう活かせるんだろう?



協力隊の経験って、具体的にどんな仕事に繋がるの?
シリアでの活動経験は、もし実現すれば、他のどの国での経験とも比較にならないほど貴重なものになるはずです。
困難な環境で培った実践的なスキル、多様な価値観を受け入れる異文化理解力、そして数々の課題をクリアしてきた問題解決能力は、あなたの大きな財産となるでしょう。
ここでは、シリアでの経験を輝かしい未来へと繋げるための方法を一緒に探すべく、青年海外協力隊に派遣された方々の今をご紹介します!
私が出会った!青年海外協力隊に派遣された方々の今
私は高校2年生の頃からずっと青年海外協力隊で国際協力をしたくて、とにかくいろんな情報を集めてきました。
そんな中で私が出会った、帰国後の青年海外協力隊の方々の現在をご紹介します。
Aさんはタンザニアに「コミュニティ開発」で派遣後、帰国してからは地元のJICAデスクで2年働き、その後アフリカの農家で起業をしました。



現在はクラウドファンディングも行って日本とアフリカの架け橋になっています!
地元のJICAデスクはたまたま後任がいなかったようですが、代々派遣後の隊員が2年の任期で行なっているそうです。
Bさんはコロンビアに『青少年教育』で派遣後、地元の大手商社に転職しました。
面接では、予測不能な環境で現地の人々と粘り強く交渉し、プロジェクトを成功させた経験が高く評価されたそうです。



キャリアアップもできて、スペイン語も習得して帰国できていて本当に理想的な進路ですね!
私が学んできたスペイン語と同じ言語圏に派遣されていたこともあり、たまにスペイン語で会話をしてくださいました!
Cさんは理系の会社で開発をしていましたが、マラウィ帰国後に地元の古民家を譲り受け、地域活性化にもつながるプロジェクトを行っています。



私が大学生の頃はよくボランティアに参加させていただき、一緒に茅葺き屋根を修復したり、水車を作ったりしました。
ずっと青年海外協力隊に行くことを目指してきましたが「現地で何のために派遣されたいのか」と問いかけてくれた彼のおかげで進路を決められました!
こんな感じに、私が知っている青年海外協力隊に派遣されていた方々は、世界をもっと良くできる、エネルギッシュで活動家の方が多かったです。
まだまだ多くの隊員たちの進路を聞いてきましたので、より詳しく青年海外協力隊派遣後のステップや就職の強みなどを知りたい方はこちらのブログをご参考ください!


まとめ:青年海外協力隊シリア派遣は、平和な未来への希望
ここまで、現在は派遣が行われていないシリアについて、過去の情報を基にご紹介させていただきました。
今回のブログでは以下の内容がわかりましたね!
- (紛争前の)青年海外協力隊のシリア派遣の基本情報
- (過去の)青年海外協力隊シリア派遣の職種と活動内容
- (紛争前の)シリアでの生活シミュレーション!住居・食事・服装・文化について
- 現在の極めて厳しい治安状況と、将来派遣が再開された場合のプロセス
この記事を書くにあたり、シリアの豊かな文化や歴史、そして人々の温かさに触れる一方で、現在の厳しい状況を改めて痛感しました。青年海外協力隊の派遣が停止されているという事実は、その国の平和がいかに重要であるかを物語っています。
あなたの挑戦を、平和への祈りと共に
今すぐシリアで活動することはできません。しかし、シリアについて学び、関心を持ち続けることは誰にでもできます。
そして、国際協力への熱い想いを、今は派遣が行われている他の国で実現することもできます。まずはJICAの公式サイトで最新の募集要項をチェックし、応募のステップを以下の記事で完璧にマスターしましょう!





ここまで読んでいただきありがとうございます。



一日も早く、シリアに平和が訪れることを願って。
ご来店ありがとうございました。