
¡Hola, bienvenida!(いらっしゃいませ!)
はるカタルーニャです。



本日は「はるカタルーニャのプロフィール紹介」となっております!
ご来店いただき本当にありがとうございます。
今回はなぜこのブログの管理人である「はるカタルーニャ」がブログを書いているのか、何がきっかけでこの先どのようになっていきたいのか。
そういった私自身のことや、夢についてをご紹介させていただきます!
【はるカタルーニャってどんな人?】夢を追い続ける旅人


このブログの管理人である「はるカタルーニャ」は現在社会人で、学生時代からこのブログの管理人としてコツコツ記事を書いています。
これまで4年にわたり「青年海外協力隊」に派遣された際に必要となるであろう国の情報や、スペイン留学について発信してきました。
そして、夢だった世界一周の旅が終わり、現在はこれまでのブログのリライトと、「世界の旅」について投稿しています。
留学や派遣、旅で行った国は合計60カ国以上で、これらの活動で得た情報をこのブログで伝えて、少しでも外の世界に一歩踏み出すための、誰かの力になれたらいいなぁ、と思い活動を続けています。
60カ国といえど、世界には200近くの国があるため、私が旅した国とはどこなのかご紹介します!



誰かの背中を、そっと押せるような情報を届けたい!
そんな想いで、学生時代からこのブログを運営しています。
これまで4年間「青年海外協力隊に派遣された際に必要な情報」や「スペイン留学の経験」を発信し、最近では夢だった世界2周の旅を終えました。
気づけば世界60カ国以上を旅しており、夢の果てまで後140カ国に迫っています!(まだ先は長いです笑)
そんな私の経験が、皆さんの「外の世界への扉」を開く、小さなきっかけになれたら嬉しいです。
まずは、私がどんな世界を見てきたのか、その60カ国をご紹介させいただきます。
【旅した60カ国とは?】ヨーロッパ全土からアジア、アメリカ、オセアニアまで


「60カ国を旅した」と聞くと、皆さんはどんな国を思い浮かべますか?
私の旅はヨーロッパを中心に始まりましたが、今ではアジア、アメリカ、そして南の島々まで広がっています。
それぞれの土地での出会いや発見を、エリアごとにご紹介させてください。
ヨーロッパ:私の旅の原点、アナザースカイ!
私の旅の原点はヨーロッパです!
これまでにモルドバやウクライナなどを除く、ほぼ全ての国を訪れました。
中でもスペインは、コロナ禍での緊急帰国という切ない思い出も含めて4度滞在した、私のアナザースカイとも呼べる特別な場所です。
北欧では美味しいサーモンスープとサウナに出会い、中央ではザッハトルテ発祥のお店で本物のメイドさんにも遭遇しました。
バルカン半島では携帯とクレジットカード3枚を無くし、とても大変な目に遭いましたが今となっては本当にいい思い出に立ったと思えるようになりました。
また、ドイツでは木組みのメルヘンチックな家が本当に可愛くて、フランスではカルカッソンヌという城塞都市が夢のような作りで忘れられません。
スペインで出会った美味しい料理や美しいガウディの建築も、ヨーロッパ旅の中で出会ったかけがえのない記憶です。
アジア:混沌と活気に満ちた、五感を刺激する大陸
アジアは特に社会人になってから旅をしています。
私にとってのアジアは忙しい日々の中、短いフライト時間で行ける、全てを忘れられる場所です。
ベトナムではダナンのビーチでゆったりと癒され、カンボジアのアンコールワットは階段が急すぎてこの若さで言っておいて良かったと思いました。
タイで訪れたアユタヤ遺跡は、ほとんどの像に頭がなくてよくわかりませんでしたが、ラオスではそのタイに取られたエメラルドブッダの宮殿が寂しそうに立っていて、歴史を感じました。
スリランカやインドではそれぞれシギリヤロックやタージマハルに感動したのですが、その後カレーのスパイスにやられ、もう2度といきたくないと思ってしまいました。
アメリカ大陸:人との繋がりの温かさを再確認した場所
高校生の頃に訪れたハワイとサンフランシスコは、私にとって海外への憧れの原点です!
特に感動的だったのは、世界一周の途中で、7年ぶりにサンフランシスコのホストファミリーと再会できたこと。
「おかえり」と昔と変わらない笑顔で抱きしめてくれた時の温かさは、私の旅の宝物です。
2023年には初の東海岸であるニューヨークで物価の高さを思い知り、2024年の世界2周目ではカナダの広大な自然にも触れることができました。
オセアニア&ミクロネシア:地球の美しさを教えてくれた青い世界
2025年6月に訪れたニュージーランドで見た星空は涙が出るほど美しかったです。
南半球でしか見られないマゼラン銀河と天の川の並んだ景色は、宇宙の大きさを肌で感じました。
また洞窟内で青白く光る土ボタルにも会うことができて、オセアニアの美しい自然をもっと知りたいと思いました。
グアムやパラオの旅では、どこまでも透き通る海の美しさに心から癒され、ビーチリゾートの魅力を知ってしまいました。
ティファニーブルーな海なんて加工で作られたものだと思っていましたが、実際にこんなに透き通っていて美しい海がこの世界にあることに感動しました。
次はミクロネシア連邦の島々も巡ってみたいと、新たな夢が膨らんでいます!
旅する中で一番重要と言っても過言ではない相棒、私はこのバックを持っていきました。


収納がかなり多く、背面にこっそりとセキュリティーチャックがあるのがポイント!
世界一周した時もこのリュックでアジア、ヨーロッパ、アメリカを旅してきましたので是非ご参考ください!
最近の旅、そしてこれからの物語
2025年も半分が過ぎておりますが、すでに私の旅は旅が始まっています!
2月にはあの「カレーで有名なインド」へ、3月には初の南半球である「神々の島バリ島」、そして5月には「ベトナムのダナン」、6月には「人口より羊の方が多い国ニュージーランド」を訪れました。
そして、この先の旅の予定も決まっています!
7月には「回線が美味しい釜山」へ行く予定で、帰りは人生初の国際クルーズ「パンスターミラクル号」を予約済みです!
10月の休暇ではオーストラリアを検討しており、ケアンズのグレートバリアリーフやシドニーの街並みなど、現地の最新情報を皆さんにお届けできるよう、今から入念に準備を進めております。
また旅の最新情報はインスタグラムで!
ブログの更新より一足早く、旅のリアルタイムな様子はインスタグラムで発信しています。
ストーリーズでは現地の動画などもアップしているので、興味のある方はぜひフォローして、一緒に旅をしている気分を味わってください!
また、修学旅行で訪れたハワイの思い出も素敵ですが、私の旅の真の原点は、高校生の頃にあります。
唯一許されていた、年末年始の郵便局でのアルバイト。
その初給料で手にしたパスポートの、ずっしりとした重み。
それこそが、私の旅の始まりでした。
これまでの旅のほとんどは、誰かに連れて行ってもらったものではなく、自分の力で一歩ずつ切り開いてきた未来でもあります。
14連勤とかしていたバイトに明け暮れた学生時代も、世界への扉を開くための大切な時間だったのだと、今なら誇らしく思えます。
そして、その旅は今も続いています。
また、私の旅の中には、研修など公的なプログラムで世界を見る機会もありました。
ここからは、少し違った、目的と目標達成のあった旅についてお話しします。
【研修で行った国】アメリカ、モンゴル、韓国は交換留学



海外へ行きたい!でも、お金がない(泣)
学生だった私にとって、お金はとても大きな壁でした。
しかし、「自分の夢は自分で叶えたい」という想いは、誰にも負けませんでした。
そこで私が見つけたのが、市が主催する交換留学プログラム!
お金をかけずに世界へ飛び出すための、最高のチャンスでした。
正直に言って、当時の私は英語がほとんど話せませんでした。
だからこそ、他の誰にも負けない武器を磨きました。
それは、圧倒的な「行動力」と「情報収集能力」です。
難易度が高そうででも応募すると決めたら、その土地の歴史、文化、抱える課題、そして日本との繋がりまで、誰よりも詳しくなるまで徹底的に調べ上げました。
その熱意が伝わったのか、私は何度も面接を突破し、高校時代にアメリカとモンゴル、大学1年生で韓国へ、海外行きの切符を手にすることができました。
※もちろん帰国後はレポートやプレゼン、広報活動を行う必要がありました。
【ついに国の支援制度】スペイン留学するもコロナで一時帰国
私は大学1年生の終わりに、国で一番大きな留学支援制度に応募し、2020年2月からスペイン留学を開始しました。
しかしながらコロナウイルスの影響でスペインはロックダウンしてしまい、外に出ることもできず、留学生を日本に帰すために奨学金も止まってしまったため、私は1ヶ月でスペインから帰国しました。
そして、大学3年生を終えてから、留学を諦めきれず1年休学し、ブログをしながら再渡航の機会を待ちました。
【2022年3月〜12月】スペインのアリカンテに3度目の留学


大学在学中にはスペインのアリカンテという、バレンシア地方の南部に位置する地域でスペイン語留学をしました。
滞在中は留学支援の研究内容もあったため、スペインのイベントを調査しまくりました。
その一環で、バレンシアの火祭りや、ムルシアの春祭り、アリカンテのセマナサンタといった世界的に有名なお祭りに参加してきました。
パンプローナの牛追い祭りや、トマトを投げ合う祭り、トマティーナの迫力は本当にすごかったです!
私はスペインや留学に関する情報を発信し、1人でも多くの人が海外に行き、何らかの人生のきっかけを見つけてきてくれたらいいなと思っています。
では、どうしてこれほどまでに海外に行きたがっているのか、いつから、どのような夢を追いかけブログを書いているのか、についてご説明させていただきます。
【ブログを始めた理由3つ】青年海外協力隊、世界発信、夢を叶える証明


これまで私の経歴をご紹介させていただきましたが、ここからはなぜブログを書いているのかについてご紹介させていただきます。
私は以下の夢を叶えるためにブログを始めました!それは…



青年海外協力隊に合格し、発展途上国で活動を行い、実際に世界を見て、これらの経験をもとにまたさまざまな挑戦をしたい!!
これは、私が17歳の時から掲げてきた大きな夢で、これまでに何度も諦めかけては挑戦し続けている人生最大の目標です。
またこの夢を叶えるための第一目標として「20代で青年海外協力隊に行き、30歳になったら世界のカフェを開く」ことも掲げています。
ではなぜブログなのか、その理由は3つあります。
- 青年海外協力隊に行くための方法を探して、このブログにまとめ「忘れない」ため
- 世界について配信し、誰かのチカラになるため
- 「こんな自分でも行けるのかな」そう思ってしまう私でも夢は叶えられるということを証明するため
これらの目的があり、私はブログを書き始めました。
【なぜ青年海外協力隊なのか?】世界で活躍できる人になるため


では、どうして私は青年海外協力隊に行きたいのか。
今でこそ私には「青年海外協力隊」という大きな夢があって、それに向かい全力で走れていますが、私にはこれまでの人生の中で、どん底にまで落ちたターニングポイントがあります。
通学中の交通事故:頭を7針縫い、2ヶ月間入院
すべては高校1年生の春に起きた、通学中の交通事故から始まりました。
頭を7針縫う大怪我で、2ヶ月にわたり入院し、授業も受けられず、部活にも参加できない、そんな日々が続きました。
成績は落ち、友達とも遊びに行けず、人間不信に陥り、またそんな中で見つかった事故の影響による記憶障害、注意欠陥障害などと向き合わなければなりませんでした。
私にとってはそれら全てを受け入れることは本当に困難で、長い間悩まされた結果…
当時17歳だった私には、抱えきれないものでいっぱいになってしまったのです。
色々あって学校にはあまり通えないまま夏休みに入り、何もすることがなかった私は、色々なことを考えるようになりました。
少しくらいは海外に行ってみたかったなとか、世界で活躍できるくらい素敵になりたかったなとか、もう少しくらい自分に自信を持ちたかったなとか…
思い返してみれば、やってみたいことだらけでした。
その後、偶然にも私は青年海外協力隊に関する雑誌を読みました。
その雑誌には、青年海外協力隊でアフリカに行き、子供たちのためにさまざまな家具を作った人の記事が掲載されていて、写真に写るその男性はとても輝いていました。
そして、私もこの人みたいに誰かのために活躍できる人になりたいと思いました。
私の夢はその時点で決まり、8年以上経った今でも人生の目標として大きな柱となっています。
頭を7針縫う大怪我で、病院のベッドの上が私の世界のすべてになっていました。
2ヶ月ほど入院をしていたこともあり、学校にも行けず、部活にも出られず、友達との距離は開いていくばかり。
成績も落ち、人は信じられなくなり、追い打ちをかけるように、事故の後遺症である記憶障害や注意欠陥障害という現実を突きつけられました。
当時の私にとって、それら全てを受け入れることはあまりに困難で、長く暗いトンネルの中にいるようでした。
当時17歳だった私には、抱えきれないものでいっぱいになってしまったのです。
心も体もボロボロのまま学校にはほとんど通えず、夏休みを迎えました。
何もすることがない、ただ時間だけが過ぎていく日々。そんな中で、私はぼんやりと考えるようになりました。



少しくらい海外に行ってみたかったな…



世界で活躍できるくらい素敵な人になりたかったな



もう少しくらい自分に自信を持ちたかったな。
思い返してみれば、やってみたいことだらけでした。
そんなある日、私は偶然一冊の雑誌を手に取りました。
そこに載っていたのは、青年海外協力隊としてアフリカに渡り、子どもたちのために家具を作る男性の記事。
写真の中で、彼はとても貧しそうな街並みの中なのに、アフリカのこともたちと泥だらけで笑っていました。
その笑顔は、私が今まで見たどんなものよりも力強く、輝いて見えました。



私も、この人みたいになりたい。
誰かのために、こんな風に輝ける人になりたい!!
それが私の夢が決まった瞬間でした。
あの日から9年以上が経った今も、この想いは私の人生を支える、太くて大きな柱となっています。


【一歩踏みだすための挑戦】市の交換留学プロジェクト


そこからは先ほども紹介したように、私は自分のやってみたかったことを自身の力で叶えるため、そして青年海外協力隊に行くための練習も兼ねて、市の交流プログラムに応募しました。
日本の何倍も広いアメリカでは国民の陽気さを知り、歴史深いモンゴルでは、遊牧民の生活に触れ、身近な国である韓国では食事や文化を学びました。
それぞれ異なった歴史や文化、習慣を持つ海外で、数日間生活しているうちに、私は「日本とは違う文化」を感じ、「考え方」を知り、私の悩みは「この大きな世界に比べたら本当にちっぽけなことだった」のだと思いました。
【衝撃!青年海外協力隊は「言語」じゃない】現状はかなり詰んでる


17歳から夢見て追い続けている、青年海外協力隊ですが、実は協力隊員の募集の多くは何かしら専門の知識や経験が必要で、言語が重要ではないことに外国語学部に入ってから気がつきました。



つまり外国語学部に来たことが特に強みにはならないんです!!
農業、経営、マーケティングの知識や経験、教師や茶道の経験5年以上。
やばい、本当に何も強みがない。技術も知識も経験もない!
農業始めようか、経済系の大学院行こうか、店でも開こうか、茶道やり始めようか…
留学経験、旅経験だけ一人前に磨いてきてしまった私は現在進行形でかなり詰んでいます。
しかしながら、困ってはいるものの、少しずつですが夢を叶えられるように、将来を見据えて活動しています。


【最後に】プロフィール・ブログ詳細&目標まとめ
私のプロフィールと、これからのブログ詳細&目標をまとめるとこんな感じになります。
- 青年海外協力隊に行くために何度も市の海外交換プロジェクトに参加してきた。
- アメリカや韓国、モンゴルやスペインへは支援を受けて留学をしている。
- 青年海外協力隊に行くという夢を叶えるために、そして「忘れないため」にブログを書いている。
- 「こんな自分でも行けるのかな」そう思ってしまう私でも夢は叶えられるということを証明するために日々挑戦し続けている。
ブログ目標を達成できるように日々、働きながら頑張りますので応援していただけたら嬉しいです。
ちなみに、30代になったら叶えたい夢が「スペイン語を忘れない」ことと「カフェ経営」なので、私のブログのあいさつはスペイン語&カフェスタイルとなっています!



ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。



¡Muchas gracias, adiós!
ご来店ありがとうございます。またお越しください!